何人もの人の予定をすりあわせるならいざ知らず、たった二家族の予定を合わせるだけなのになぜそれができないのか。長男というのはそんなに独裁者でよいものなのか。そんなに威張るなら、もっとするべきことがあるだろうに。ほんとうにいい加減にしてほしい。
— 風信子 (@studiohyacinth) May 24, 2016
納骨やそれに続く法事は、亡くなったご本人というより、私は遺された人達の為の行事だと思う。その行事を通じて、新しい世代が次の時代を担うことを自覚したり、慰め合うものなのではないだろうか。行事をすませればよいという問題ではないはずだ。
— 風信子 (@studiohyacinth) May 24, 2016
私たちが憤りを伝えると、結局間に入る姑がオロオロしてストレスを感じる。その姿を見るのもつらいから、こちらは言いたいことも言わずに黙る。なぜなら、言っても理解できないロボットのような人だから。もう何十年もこんなことの繰り返し。私は絶対に子ども達にこんな苦労はさせない。私で終わらせる
— 風信子 (@studiohyacinth) May 24, 2016
自分のお父さんをお墓に入れる日なのに、どうして都合もきかないで勝手に決められるの? 次男坊が怒った率直な感想だ。私も本当にもっともだとおもった。なぜこの15歳の少年がわかる気持ちがわからないのだろう。本当につきあいきれない。
— 風信子 (@studiohyacinth) May 24, 2016
この日の市原悦子さんの言葉が身にしみる。 https://t.co/1u1V2jfgnj 本当に親を見守るということは報われないことが多いね。其れでも、それも覚悟して決めたこと。すべてのことが子ども達への生きた教材だと思おう。我が家の子供達は、母の涙もちゃんと見てくれている。
— 風信子 (@studiohyacinth) May 24, 2016
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