2015年3月30日月曜日

2015年3月28日土曜日

2015年3月8日日曜日

2015年3月7日土曜日

私にとってブログを書く意味

 書くという行為は、私の気持を落ち着かせる。
今の自分の気持を冷静に見つめて、自分の過ちに気がついたり、自分を勇気づけたりする。 ブログは今の私にとって、どんなセラピストにも勝る存在だ。

 自分を省みたり、記録としてのこしておくなら,普通の自分しか見ることのない日記でかまわないだろう、という意見ももちろんよくわかる。
私も以前はそう思っていた。

 しかし,そうでもない。それは違うと、今は強く思う。
ブログは、正直な思い、批判も恐れず自分の気持を伝えたいと思う私に与えられた、唯一の手段だと確信しているからだ。

 そんなのアメリカにいるからできるのよ。
そうね。そうかもしれない。
馬鹿にする人は,馬鹿にすればいい。

 私はどんなに批判されても、実名で自分の思いを伝えたい。
自分が責任をもって表現しないことには,戦えないとすら思うからだ。

 無神経な言葉の暴力には、ひるまず、冷静な文章で対応したい。
女は弱し,されど母は強し。それと同じように、ペンは武器より強しなのだ。

 私が四半世紀以上どんな思いだったのか、顔面麻痺で歪んだ自分の顔が教えてくれた。もう、二度と、「世間体」というものに負けたりはしない。

2015年3月2日月曜日


 夫婦の間であっても,互いの両親を蔑むような言動は失礼だ。
私も夫に対してそういうことはしていないと思うし,私も夫からされたことはない。
そして、縁戚関係であれば,なおのこと。

 ホントに四半世紀、あの無神経な人に優しくしすぎたのだと思う。
もっと早くから怒ればよかった。
 去年の今頃のことを思うと,何となく朝からまた モヤモヤする。
関係のない人達だ、と そう思おうとしても、不愉快になる。

 様子をみましょう。とか、お好きなように。とか、どうしてそんな人ごとみたいなことが言えるのだろう。
私達がどうすることもできなくなったら,慈悲深い顔でもして救いの手でも差し出すつもりなのかしら。

 夕べも雪。外は雪がまだまだたっぷり残って去年とは景色が違うけど、春が近づいて来て日差しは例年どおり。去年の今頃、苦しい思いで暮らしていたことを、日差しが思い出させる。

 そして、私達の気持を逆撫でするアピールへの怒りが,私を苦しめる。
世間体を考えて「介護してます」、という顔をしないではいられなかったのだろうけど,そういう「見栄」に振り回されるのは、「生活」をする私達だ。

 ほんとに、何を今更と思う。このブログを立ち上げた時の自分の怒りが込み上げてきて、気持を整理できない。