2014年12月12日金曜日

何番目の孫であろうとも、気持は一緒

 我が家のお兄ちゃんが1歳をすぎた頃、夫の祖母が亡くなった。
ひ孫の初節句に鯉のぼりを贈ってくれたおばあちゃん。
優しい人で,夫も大事にしてもらった。
遠くに住んでいたので,私が会えた機会は4回位だったと思う。

 私がまだお嫁に来たばかり頃,おばあちゃんから「Mちゃんをよろしくおねがいします、あなたに頼んでおきますけん・・・」と、私の手を両手で握りながら頭を下げられたことがある。
おばあちゃんにとっての愛娘Mちゃん。。。そう、私の姑のことを思って,わずか23才の孫の嫁にこんな風に頭を下げてくれたことに,私は涙が出るほど感動した。

 そんなおばあちゃんが亡くなったのだ。私は当たり前でお兄ちゃんを連れて,葬儀に参列するつもりで準備をしていた。
夫も数日休む分の仕事をしていた、もうそろそろ帰って来てくれる。
夫が帰って来たら,すぐに間に合う電車に乗るつもりだった。

 そこに彼から電話がかかって来た。
お悔やみを伝えながら、夫がもうすぐ帰って来てくれること、帰って来たらすぐに私達も出発することを伝えると、彼は不機嫌に「なぜ信子さん達まで行くのか。M(夫)だって行かなくてもいいのに」と言うのだ。
私は驚いて,自分もお嫁に来てから大事にしてもらったよい思い出があること,ひ孫であるお兄ちゃんも見せてあげられなかったことを伝えて,もちろん参列するつもりであることを伝えると,彼は、M だって行かなくていい、自分は初孫だから行かなくてはいけないけど、Mはいいだろう。ましてや,なぜ信子さんまでいくのか。。。と終止不機嫌だった。

 夫にとっても大切な祖母だ。義務感で参列するものではないはず。私は予期せぬことに戸惑い、夫と相談する旨を伝えて電話を切った。
そして,夫が帰って来てくれたところで夫が電話をすると、何度も「自分は初孫だから」と繰り返し,夫は行く必要がないの一点張り。しかし夫は,自分には思い出のある人だからと参列を決めた。そして、私とお兄ちゃんに関しては、彼があそこまで嫌がるのだから。。ということで,家にのこることにしたのである。

 お葬式は、大往生だったおばあちゃんを偲んで,孫,ひ孫がたくさん集まり賑やかなものだったという。幼いひ孫達が互いにあそんでいる姿を、きっとおばあちゃんも喜んでいてくれていたことだろう。夫は、親戚から我が家のお兄ちゃんの誕生を祝ってもらうとともに、あいたかったなあ。。と、いろんな方に言われたそうである。でも,もちろん私達が出かけなかった理由を言うことはしなかった。

 そしてそれからしばらくしたある日,私が夫の両親の家にいくと、私は舅から小言を言われた。信子さんは本当に気が利かない。せっかくお母さんにとって初孫なのに、子ども達それぞれの孫が揃ったらおばあちゃんも喜んだだろうに、そういうことが供養というものだ。。。と言うのである。

 あの日,両親はもう おばあちゃんのもとに出発していて,連絡を取ることは不可能だった。今のように,携帯を誰もが持つ時代ではない。
両親の意向を確かめることはできなかったけれど,いつも,何かと言えば「お兄さんの言うことをききなさい」と言っていた舅。次男の嫁なのだからと、ことあるごとに言われることは不愉快ではあったけれど、私も昔風の家に育った身としては仕方がないことと思っていた。そんな私だったから、なぜこんなことを注意されなくてはならないのかと、涙をのんだのを覚えている。

 家父長制度が残っていたような時代、そしてたくさんの兄弟姉妹がひとつ屋根の下に暮らしていた時代なら,「長男」という者はそれほど大事だったのかもしれない。しかし,もう,我々の世代は違う。兄弟といっても二人か三人。年の差だって,そんなに離れているとも思えない。それなのに、なぜ、「長男」としてそんなに偉そうに振る舞われなくてはならないのか。

 私も夫もそれが嫌いだったから、我が家の子ども達には「お兄ちゃんだから」「弟だから」「一番年下だから、女の子なのだから、」と、そう言うことは決して言うまいと、心して子ども達を育てて来た。そして、そんな風に兄弟の序列を自覚させて育てなくても、お互いをいたわりあって、慈しみながら育ってくれているのではないかと私は信じている。

 何番目の孫であろうとも、その孫にとって おばあちゃんは一人だ。
それなのに、自分は初孫だと、「初孫」という言葉を振りかざして自分が特別な存在であるかのようにふるまう。何番目の孫であろうとも,祖母を思う気持は一緒だ。そして、それは親に対しても同じ。長男であろうと,次男であろうと、親を思う気持は一緒のはずだ。自分だけが特別な人だという勘違いは,いい加減にしてほしい。

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