2015年4月6日月曜日

 今まで子ども達には話してこなかった、母が嫁いでからの思いや、幼かった父が抱えた思いを、少しづつ我家の子ども達にも話すようになった。
一方的なことを植え付けてもいけない、そう思って話してこなかったこと。
でも、もう子ども達は十分に理解するほど大人になった。と、そう思ってのことだ。

 舅は,数ヶ月に一度来る、車椅子を押す写真でもとりたいのかと思うような訪問には笑顔をみせる。「ありがとう」と、感謝の言葉をいう。
でも、母を見守り、例えどんなに忙しくても週に何度も部屋を訪ねる息子には常に不機嫌で,感謝の言葉ひとつかけることもない。
それどころか、独りよがりな解釈で説教をする。

 老いて,もう、いろんなことが解らなくなってきたからだ。
そう思うようにしている。
しかし、老いてからではない。ずっとそうだった。
少なくとも,私が嫁いでからは、ずっとそうだった。

 私達夫婦がいろいろ働きかけても、3人の孫たちとも、ボール遊びひとつしたこともない。
それが彼の性格なのだと解っていても、もう少し違う接し方があったのではないかと残念に思うことがたくさんある。

 私が気に入らぬ嫁だったからか、次男家族の子ども達だからか、と、いろいろ思うこともあったけど,そういう訳ではない。
彼は,彼なりに次男の夫も可愛がっていたし、嫁の私も、3人の孫達も愛おしいと思ってくれていたと思う。でも、関わり方が「普通」と違うのだ。

 その「普通」とは違う関わりの中で,父が悲しかったこと。
抱えた辛かった思いを、子ども達にも知ってもらいたいと思う。
そして、この三人の宝物を父がどんな思いで見守っているのか、知ってほしいのだ。



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